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すしの歴史
すしの博物館
   
   
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 すしの起源を辿ると米作と共に東南アジアとされ、米の醗酵酸を利用して魚などの食品を保存したものが始めと言われています。この技法が中国や朝鮮半島を経て日本に伝来しました。
 日本のすしの始まりは「馴れすし」です。近江の鮒すしが現在もあります。 製法は、魚を塩漬けにして1年程漬けこんだものを米飯に挟むようにして、押しをきかせて、1年目位から食べられる様になります。日本海側の北の方では同様の製法に麹(こうじ)を使ったものもあり、これは朝鮮半島から伝わったと考えられます。 材料の条件や気候風土の違いなども加わり変化をいたします。もっと早く食べられる様に工夫され、出来たものが「生馴れすし」と言います。これを皮切りにさらに数々の創意工夫がなされ「こけらずし」「押しずし」「早ずし」という順にいろいろな姿のすしが現在まで商品として残されているものがあります。これらの製法が重なり合って江戸の郷土料理としての「握りすし」の誕生に向かったものと考えられます。
...文献上からアトランダムにひろってみますと、
室町末期には、すでに現在の大阪風の「押しずし」があったと言われています。
「早すし」を作ったのは延宝の頃(1673〜1681)会津出身の医師松本善甫。
出典:岡本康孝(1872没)著・随筆難波江
天明の俳人蕪村はたいへんなすし好きであったようですが、彼の句に出てくるすしは全て「馴れずし」のことばかりです。
蕪村と同時期の浮世絵師歌麿が描く江戸すし屋の屋台の絵は、大阪風の「押しずし」ばかりが並んでいます。この頃はまだ江戸前の握りずしはまだ商品としてデビューしていません。さらに少し経ちますと、江戸では立場料理と呼ばれる「天ぷら」や「うなぎの蒲焼き」。この二つの人気料理に押されて「大阪風押しずし」は人気がた落ちとなります。
その後、中埜又左エ門(ミツカン酢の創始者)に技術革新によるの酢の大量生産、醤油の利用により「握りずし」が流行だします(最初のネタはコハダ)。
一説によると両国の花屋与兵衛(寛政11年生まれ、1799〜1858)なる鮨屋が「握りすし」の元祖のように言われています。

 最近は、いろいろな食材や、業態などが融合して新しい面も見えています。
 現在では、米国、フランス、イギリス、ロシア、香港、韓国、台湾などの国でSUSHIフードが支持されています。
 「すし」から正に世界の『 SUSHI 』になったのですね。 
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